はじめに
私は、数年前に「湯河原町」のマンションを借りたことがあります。2年間という期間で、しかも月2回程度しか行けませんでしたが、思い起こすと楽しい経験でした。
今、「プチ移住」とか「とかいなか移住」なるものが静かなブームと聞きます。私の湯河原町での経験がそうしたことを考える人たちにとって、わずかでも参考になれば幸いです。
石碑『湯河原温泉の由来』

湯河原駅前から、五所神社に向かっていると、途中で写真のような石碑がありました。
読んでみますと、「湯河原の温泉」と書かれています。
「泉質はナトリウム塩化物泉、硫酸塩泉など 源泉温度は配管内で61度、適応症は神経痛、関節痛、慢性皮膚病に効く」といいます。61度と書いてありますが、触わってみると、かなり熱かったです。
万葉集の歌碑

足柄の
土肥の河内に
出づる湯の
世にもたよらに
子ろが言はなくに」
と「万葉集」にも詠われている湯河原温泉。この歌の意味は、「足柄の土肥の川辺に噴き出す温泉の湯煙、それが中空に漂い揺らぐように、あの娘と私の関係は湯煙のように不安げだ」という男心を詠ったものだそうです。
湯河原町の古地図

この地図は、今の万葉公園の辺りを描いた明治42年当時の湯河原温泉の地図です。真ん中に流れる川は千歳川です。周辺には今も残る旅館が描かれています。
人車鉄道

湯河原が目覚しい発達を見せるのは、明治29年に小田原から熱海間に人車鉄道が開通してからのことです。交通の便がよくなってからは、東京方面はじめ多くの人が療養と観光に訪れるようになりました。
人車鉄道とは、写真のようにトロッコのような小型の箱車で、乗客3~5名を、車丁3名が人力でレール上を押す形を取る鉄道です。
湯河原町の和菓子やさんの前には、人車鉄道の復元車両が置いてあります。
軽便鉄道

明治39年には人車鉄道のレールを使い、小型のSLを使った軽便鉄道が走るようになり、小田原から熱海まで海岸沿いを約25kmの距離を1日十数回往復していました。
芥川龍之介の『トロッコ』

芥川龍之介の『トロッコ』は、湯河原出身のジャーナリスト、力石平三が、幼年時代に熱海軽便鉄道が人車鉄道から軽便鉄道への切り替えを行っている工事を見物したときの回想した手記を、芥川が潤色したものといいます。
多くの文豪達に愛された湯河原温泉

明治以降は多くの文豪に愛され、国木田独歩が晩年に『湯河原より』『湯河原ゆき』などの短編小説を執筆したほか、夏目漱石が絶筆となった『明暗』を湯河原で執筆しました。また島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎らも訪れています。
まとめ
湯河原の町を歩いていますと、シャッターを閉めている店が多いことに気づきます。
湯河原町は、隣接する熱海とか、箱根と比べると、確かに知名度が低く、とくに若者の間で湯河原のことを知らない人が多いと聞きます。
せっかく、温泉とか海とか、観光資源が豊富にあり、食べ物にしても、刺身、みかんなどおいしいものがいっぱいあるところなのに、とにかく残念でなりません。


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